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夜中、救急車のサイレンが聞こえ
サイレンの音が少しずつ大きくなり
”この病院へ近づいてくる”

救急車でこの病院へ運ばれてしまったら・・・

ここは、”世にも奇妙な物語”のようだと思った


医師や看護士は、患者のために必要な医療を行うと普通思う
そうではない
治療とは、反対のことが行われている

そのことに気がついても、ここから抜け出すことは出来ない
蟻地獄のようだと思った


担当医たちとの話し合いの中で
医師や看護士は、必要な医療を行っている
看護士に疑問を投げ掛け、声を荒げ訴えるなど
私の行為は、母の付き添いで疲れ、ノイローゼになっているのではと

転院したくても
状態が危険で、”家族がとてもウルサイ”などと担当医が言えば
受け入れてくれる病院などない


蟻地獄・・・


救急車のサイレンが鳴る
今日も誰かが運ばれる





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2010.03.12 Fri l 未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲

大晦日に当直医に訴えをした、その明け方

3時頃、目を覚ますと
隣のベットで寝ていた、母の体が”どさっ”と・・・
看護士が体交しに来たようだ
そのまま病室を出て行った

日中でも1度か2度、行われる体交
夜間、寝ている時に行っていかなくてもと思った
その後、母が目を開け文句も言わず
眠れぬ時間を過ごしていた姿が、今も浮かんで来る

そして5時半頃、目を覚ますと
今度は、あの看護士は吸引をしていた
ベットから起き上がり見ると、母が涙目になっていた
「止めて下さい!」と叫んだ

"痰が喉に詰ると、呼吸が出来なくなる"と
その時、この説明があったかは覚えていないが
それまで何度か繰り返し聞かされていた

吸引をする前には、痰など喉に異常な音はしていなかったが
吸引した後、ズルズル... 異様な音がするようになった

寝ている間に、そんな事が起き
怖くて寝る事が、出来なくなった

朝、8時半頃
当直明けの内科医が、病室に診に来てくれた
目を覗き、心臓の音を聞いて
「どうですか?」「大丈夫です」
多分こんな会話だったと思う 

それからしばらくして
9時頃から、母の様態が悪くなった
心拍数が160前後まで上がった

日勤の看護士から、「ご家族は・・・」
状態が悪いので連絡するよう
そういう意味なのだろう

そのような時は、医師に連絡を取り
薬を投薬すると以前、聞いていた
そのような対応もなく、ご家族は・・・

”生きるための医療をお願いします”と
看護士に、泣き叫びながら訴えた

薬は投与されたが
午後、3時頃までの長い時間
ずっと心拍数は上がり、180まで上がることもあった
苦しんでいた母に、その日
胸から腹部にかけ、皮膚の内側に血が浮かんでいた
医療的な事は、全くわからないが

今、考えると、あの明け方の吸引は・・・
母の喉を傷つけるために行ったのではと思った
その血が、胸から腹部に広がったのでは
母の声を潰すため、喉を刺したのだと
まずいことは話してほしくいと

6時間ぐらい苦しんで
がんばった、母の声はほとんど聞き取りにくくなってしまった


この夜勤の看護士は、次の夜勤(1月4日)の時・・・

その頃、24時間、高カロリーの点滴をしていた
・点滴が夜間12時頃、終わり変えるが、変わって間もなく
いつも2・3時間苦しむことが多かった
・心拍数が高く苦しむ日や呼吸数が少なく苦しむ日など、日によって病状が違った
・点滴の量を適正に落とすための機械がついていたが、1000mlのはずが
いつも70mlぐらい多く指していた
その事については、誤差が出るのでということだったが

それらの疑問を、あの看護士にぶつけ
”点滴に何か混ぜているんじゃないの”と聞いてみた

点滴を触りながら、これは・・・ と言っていたが
「頭いいのね」と小声で言ってクスッと笑い、病室を出て行った

この日も点滴を変え、2・3時間近く苦しんだ
ナースステーションに、怒鳴り込みに行ったが
そんな事は言っていない
聞き間違いではと・・・


のりピー似の看護士だ
のりピーに恨みはないが
この看護士は許せない

許せないというより、決して許してはいけない
決して、医療に従事してはいけない看護士だ



母の涙目の顔
入院して、ずっと苦しんでばかりだった
どれほどの恐怖と不安と苦しみの中にいたかと思うと


神さまは、母ががんばっていた姿を見てくれていたと思う
心穏やかで、安らかでありますよう
母に愛と光が、降り注ぎますよう




2010.03.03 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

12月29日、午後1時頃
病院から電話があり、すぐに駆けつけ
Drから肺炎で危ないといわれた時も
その後、病室の母のもとへ行き
それから、1時間程して
日勤の看護士が、病室の各患者の熱を測りに
この時、母の熱は 39,2°あった
氷枕などしていなくて、放置されているように感じ
その事が、この病院に対して
初めて疑問を持つ、きっかけになったことだった


その日から個室で、母のそばに泊まることに
夜、サイドテーブルに置かれた尿量の記録に目をとめ

25日 入院
26日 1,445ml
27日 1,350ml
28日 1,290ml

とても尿量が多い
一日、1,500ml しか点滴をしていないはずなのに
尿が、1,500ml 近くも出ている・・・・・・・・・・・・・・・

とてもおかしいと思った

その前の月も他の病院で、11日間入院をしていて
やはり、一日に1,500ml の点滴を受けていた
その時は、バルーンをつけていなかったが
毎日、明け方、昼、夜の必ず3回
少量から普通量の尿があった

一回200ml として、毎日だいたい600ml ぐらいの尿量だった

この時は、私が11日間
母のそばで付き添い、ポータブルトイレの介助も行っていた

点滴の量もその時と同じはずなのに尿量がとても多い
それは点滴の量が、多かったということに・・・
そう疑問をもった

29日の午後から、私が母のそばに付き添うようになり
あきらかに、尿量は激減している

29日  890ml
30日  340ml
31日  280ml
 1日  490ml
 2日  600ml
 3日  500ml
 4日  760ml
 5日  460ml
 6日  420ml


1,500ml 近くの尿量というのは
その倍近く、3,000ml ぐらいの点滴が行われていたのではないだろうか?

そんな酷いことを・・・・・・・・・・・・・・・

在宅で点滴を受けていた時、看護士が言っていたことを思いだした
点滴が早いと心臓に負担がくると


点滴の量が多ければ、点滴も早く落とすことになり心臓に負担が・・・
母の心拍数は、120を超えていた
そもそも3,000ml、もしくはそれ以上の量の点滴などありえない

母の体を、ぼろぼろにして


どうして、病院でこんなことが起こるの?




2010.03.03 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

29日から個室に移り、母のそばにずっとついていた

看護士が行う一つひとつの行為が
母を苦しめ、確実に状態が悪くなって行くのを
私は見続けなければならなかった

初めは医療行為などに、疑問を投げかけ
適切な医療をと訴え、お願いをし
・・・何度も叫びながら訴えたが


12月31日、担当医が休みに入っていたので
この日、当直だった内科の医師に
病室まで来てもらえるようお願いをした

大晦日の当直医・・・
こちらも切羽詰っていた
母の命がかかっていた

手短に話せるようメモしたものを読み上げ、何度か練習をした
それまでの医療行為への疑問や
クーリングが適切に行われていないことなど
適切な医療、最善の医療をお願いしたいと訴えた

当直医はクーリングに対して
誤解があったのではと話していたと思う
母の様子を診にくると伝えてくれた


母は医師とのやり取りを聞いていて
「言っても無駄」
「ここはほんとうに酷かった」
「もう体は、メチャクャ」と・・・
「お母さん、何で言ってくれなかったの?」
「何度も個室に移ろうって言っても、お母さんいいって・・・」
「ごめんね。 お母さんが悪かったの」と、母は両手で顔をおおって泣いた

入院して7日・・・
手は浮腫み足も、もう自由に動かなくなっていた

母は助けてと言えなかったんだと
以前、認知症など高齢者は、助けを求めることが出来ないと聞いたことがあった
私自身、”助けを求められるか”自問すれば
その能力は、限りなく0に近い

入院し救急医療を受け、担当医から呼ばれ、少し中に入ることが出来た
(母は点滴の針が、もうなかなか入らなくなっていたが)
ほんの短い時間... 6ヶ所ぐらいにすでに点滴の針の後があった
両手の甲が、酷く内出血して腫れ上がっていたことを思い出した
この時、母は何を感じていたのか
私自身がこの時、しっかり気がつく事が出来ていれば・・・

救急医療を担当医から受け
病室に戻った母に、安心して笑いかけたら
「何、笑っているの?」と
それまで見た事がない、とても怖い顔で怒っていた
この後すぐ、母は怒ったように父と私に「早く、帰りなさい」と言った
家に帰り「お母さんって、ほんと変わっているよね」と私は父に話した

次の日、お見舞いに行った時も
母の顔は、とてもこわばっていた
「看護婦さんが来るから、早く帰りなさい」と

それまで母は、歯を磨かなくなり拒否をして
私も無理維持出来なかった
歯にカスの厚みが盛り上がるほどだったが
歯がきれいになっていたので、きちんと対応してくれたのだと
家族がいて甘えてしまうより、いいのかもしれない
安心し父とすぐに帰った

次の日も次の日も母の顔はこわばっていた
あるとき、布団を直していると
「看護婦さんが来るから・・・」と
父と「大丈夫だよ」と話すと
やはり早く帰るよう、私と父に言った

母が早く帰るよう言ったのは
看護士から医師から、父と私を守りたかったんだと思った
助けを求められなかった母には、それしか出来なかったんだと

病院で寝たきりの母にとって、そこはほんとうに顔がこわばるほど
恐ろしいところだったのだと思う

母がどれほど、怖い思いをしたかと思うと・・・

気がつかなくてごめんね お母さん。

年が明けた
真っ暗い海の中を母とふたり、ボートに乗っているようだった
手も足ももう自由に動かない... 母を乗せ

真っ暗い海の中、ボートを漕いでいくと




2010.03.03 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
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